戦時・戦後のイタリアは、新古典的な流れと、一方ではモダニズムを取り入れようとする二つの流れがあり、イタリアのモダニズムは、その折衷を実現し、デザインや建築において合理主義と呼ばれた。
戦後イタリアのデザインは合理的でありつつ、理想と現実、理論と実践という二元性によっても把握され、製品はオブジェとしての存在と機能を両立させたデザイン・オブジェとなった。オリベッティー社やフィアット社のような大企業は、意識的に有名なデザイナーを顧問として共同作業を行い、デザインが経営政策の重要な要因となっていった。
60年代イタリアはモダニズムを越え、ポストモダニズム、ポップアートを見越した、デザインにおける新しい展開の先駆者になっていった。
引用:ArchiproductsLogo「Lorenz STATIC Glossy steel table clock」
イタリアのモダニストの建築家、都市計画家。合理主義建築を代表する建築家。1920年代にドイツなどで興った建築のモダニズム、インターナショナル・スタイルにいち早く反応し、イタリアにおいて普及させようとした。同時に、ファシズム体制のための建築を多数設計している。ムッソリーニ政権の基で「カサ・デル・ファッショ」や「ヴィッラ・ビアンカ」等の優れた建築。ムッソリーニ政権崩壊直前に脳卒中で39歳の若さで他界。
イタリアにおけるモダニズム建築運動の先駆者として、イタリアのモダニズムの代表となる建築を多く残した。またファシストの建築家集団でイタリア合理主義建築を主導した「グルッポ7」の創設メンバーであり、新古典主義やネオ・バロックなどの復古主義を激しく非難。1926年、「グルッポ7」のメンバーと宣言文を発し、復古主義との論争のリーダーとなった。
建築家としての活動期間は13年間に過ぎなかったが、コモに小規模だが重要なデザイナーの集団をつくり、コモおよびミラノをモダニズム建築・イタリア合理主義建築の牙城とした。末期の仕事では、近代建築の理論とイタリアの伝統を融合させて、より「地中海性に富んだ」独特の建築様式に至っている。
コモ市の「ファッショの家」は彼の代表作だが、そこに置かれたスティールパイプの椅子は、シンプルな形で第二次世界大戦後のイタリアンデザインのルーツをなす名作。
ファシスト党本部として建てられ、大衆参加の大規模なファシスト集会のために、ガラスのアトリウムを中心とした古典的な宮殿として概念化されている。今は国境警備隊本部として利用されており、近代・イタリア合理主義建築の代表作。
特徴的なのは、ファサードで、全体の縦横比は、1:2の比率、各開口モジュールの縦横比は黄金比(ノートや用紙の比率)で構成されている。
平面の縦横比は 1:1で構成されており、全体として√2の比率で構成される空間になっている。テラーニは√2のモデュールが空間に与える影響をしっかり把握しており、周囲にまで鋭い感覚と洗練された空間を与えている。
ファッショの会議室
ファッショの会議室に置かれたパイプ椅子
ファッショのために考案された椅子「Follia」(実際に使用はされなかった。名称は復刻版作成の際につけられたもの「和訳:狂気」)
ファッショ内部、天井吹抜になっていて、内部に 光が差すように工夫されてる。
伝統的なスキームに従って建物内部を設計したが、外部は合理主義と表現主義による当時としては極めて前衛的なファサードで覆っている。1928年にプロジェクトが行政の建築許可を得るときには、この前衛的建築による却下を懸念して、新古典主義のファサードを備えた建物とした。しかし、建設完了後にファサードが公になると大きなスキャンダルとなった。しかし、その後専門家委員会で建築が認められた。1930年に「La Casa Bella」(イタリアの建築雑誌)に掲載され、イタリア合理主義建築の象徴となっている。
構造は鉄筋コンクリートで、玄関は正面の中央に位置。3つの階段があり、1つは入口の中央に、2つは角に。これらは、全体がガラスで覆われた円柱状のボディによって強調されている。
ベニート・ムッソリーニのファシスト政府によって企画された未建築の記念碑。残っているのは、テラーニのスケッチ、建築モデルの一部、プロジェクトレポートの断片のみ。この建物は有名なイタリアの詩人ダンテを祝い、帝国ローマの栄光に基づいて築く強力なファシスト国家を称賛することであった。
イタリア・ダンテ協会会長であったリノヴァルダメリは、ローマ万国博覧会に間に合うようにムッソリーニ内閣にダンテウム建設を提案していた。プロジェクトは、ヴァルダメリからテラーニとピエトロ・リンジェーリに委託。1938年に戦争が開始され、プロジェクトは延期され、その後中止となった。
ダンテウムの構成は、新曲の寓話性に沿っている。つまり、地獄、煉獄、そして楽園へ導くダンテの「新曲」の構成と平行する一連の記念碑的な空間で構成されている。しかし、テラーニは、この新曲の物語をそのまま説明しようとするのではなく、テキストの形式と韻の構造に焦点を当てて、それらをイタリアの合理主義に典型的な、繊細で注意深く構成された空間と無装飾のファサードに翻訳した。この建築はビザンチン様式教会の建築構造に影響を受けているため、ダンテウムはある意味では翻訳の翻訳。文芸芸術・建築のそれぞれの意味を内包する複雑なデザインに関連付けられている。この空間的構造は、いわゆる建築要素の明示的なボキャブラリーに収斂されず、空間構造に詩的意味を表現する新しい方法を確立した。
1938年にオリベッティ(イタリアでタイプライターの製造・販売会社として創業されたメーカー)で最初のインダストリアルデザイナーと呼ばれる立場でタイプライターや計算機をデザインした。タイプライター「LETTERA22」と「LEXIKON80」はニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久収蔵品に選定されている。
1950年代からはオリベッティー社とミシンメーカーのネッキ社で仕事をした。
イタリアのオリベッティ社のタイプライター。このタイプライターはイタリアでは非常にポピュラーで未だに根強いファンが多くいる。
その美しく洗練されたプロダクトデザインは、1950年代のオリベッティのプロダクトの中で、最も成功した製品として位置付けられるようになっている。また、1954年に、イリノイ工科大学が、過去100年間におけるベストデザインのプロダクトとして選定。ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵作品となっている。メカニカルな仕掛けや美しさを包み隠す方向でデザインされており、プロダクトとしてメカニカルな存在感が突出し過ぎないように、バランスに配慮してデザインになっている。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)所蔵作品。鳥がモチーフとなっている。
メモリアルグッズとしてデザインされたもの。タイプライター「LEXIKON80」のイメージの基にもなった鳥がモチーフとなっている。
機能性と曲線美の傑作。第11回ミラノ国際美術展覧会で「コンパッソ・ドーロ」賞と展覧会のグランプリ賞を獲得、また、ニューヨーク近代美術館(MoMA)で常設展示されることとなり、工業デザインの分野において高い評価を受けた。
イタリアの建築家、インダストリアルデザイナー、家具デザイナー。建築・デザイン雑誌『Domus』を創刊したことでも知られる。「イタリアモダンデザインの父」と呼ばれた。
1923年ミラノ工科大学卒業後、1930年まで陶磁器メーカー・リチャード・ジノリ社でアートディレクターを務める。その後、自身の建築事務所を設立し公共施設の設計などを手掛け、1928年建築・デザイン誌「ドムス」を創刊、初代編集長に就任し、国内外のデザイン界に多大な影響を与えた。
1930年代にはいると建築や 家具にモダニズムの形を見せ、戦後の1950年代にはイタリアモダンの代表的な人物となった。ジオの合理主義デザインは、1936年の建築「ラポルテの家」が代表的であるが、そこでも抽象的でシンプルな構成をみせながら、どこか装飾的な匂いを発散させている。インダストリアルデザインではニッツォーリとは違ってシンプルながら詩的な感覚を漂わせたモダニズムといえる。彼はイタリアモダンのひとつのルーツであり、同時にポストモダンの先駆者でもあった。
1952年から開発が始まり、1957年に完成するまで8年の歳月をかけて完成された。カッシーナ社が初めて社外にデザインを委託して開発した家具であり、超軽量で椅子としての機能と美を極限まで追求した作品となった。極限まで削ぎ落とされた幅18mmの三角形フレームと、重さ1700グラムという軽量の椅子は、堅固さと軽さを完璧なバランスで仕上げている。座の籐は手編みで、ひとつひとつ丁寧に作られ、発売から半世紀以上にわたって人気のロングセラーとなっている。
引用:Cassina ixc.「699SUPERLEGGERA」
引用:HAPSENT「いろいろなデザイナーVol.22~ジオ・ポンティ~」
引用:LIGHT「SUPERLEGGERA」
1926年に彼の代表作として知られる「ジョヴァンニ・ランダッチョ通りの集合住宅」、1936年にプリン通りに建てられた「カサ・ラポルテ」。この30年後(1957年)に手掛ける「デッサン通りの住宅」を含む3つの案件が、「ポンティスタイル」の家具で整えられたミラノの住宅プロジェクトとして、ジオ・ポンティが手掛けた建築の代表作と言われている。
戦後すぐに建てられた 124mの高さを持つ、ヨーロッパにおける超高層ビル建設の最初期の事例の一つ。他の超高層ビル建設に対して多大な影響を及ぼしました。主構造体である両側のスリットのある三角形のコアと、その中間を支え上部にいくに従い断面の縮小する2対の壁柱がデザイン的にもカギとなっており、端正で優美な表情を作り出している。
徹底した工業化によって作られたが、製品規格に縛られた工業化とは違い、「建築は結晶である」とするポンティの美意識が具現化している。
引用:歩人庵の住まい徒然「ジオ・ポンティと「ピレリ・ビル」」
引用:LANDSCAPE&Architectural「ピレリ・ビルTorre
Pirelli」
陶磁器メーカー・リチャード・ジノリ社時代の食器デザイン。
陶磁器メーカー・リチャード・ジノリ社時代の食器デザイン。
引用:AucFree「K09166【RICHARDGINORIリチャードジノリ】ファンティーニジオポンティカップ&ソーサー2客ペア馬競馬ジョッキーの落札情報」
イタリア、ミラノ出身のインテリアデザイナー。同じく建築、インテリアデザイナーのリヴィオ・カスティリオーニとピエール・ジャコモ・カスティリオーニは実兄。兄のデザイン事務所で建築、インテリア、アートを学ぶ。
1957年にザノッタ社より2つの実験的とも言えるスツールを発表。自転車のサドルをモデルにした「SELLA」とトラクターのシートをモデルにした「MEZZADRO」である。それは快適で合理的なラインとシンプルさを兼ね備えながら、既製のスツールを破壊してもう一度作り直すというダダイストの思想を持っていた。発表後1950年代後半のイタリアンデザインの象徴となった。
1960年にフロス社の設立と同時に兄と共にメインデザイナーに抜擢。その後最高傑作のひとつ、大理石のベースから優雅な曲線を描きながら伸びるアームを持つ「ARCO」や自動車のヘッドライトを利用してデザインされた「TOIO」を発表。1960年代のイタリア照明界の代表デザイナーとなり、これらの照明はモダン照明デザインの古典的存在になっている。
新しいテクノロジーと多様な素材を用いて家具や照明、都市計画に至るさまざまな世界で実験的なフォルムと伝統的なフォルムを表現し続け、1970年代からはミラノ工科大学建築学科教授として、若い才能を育てることにも大きく貢献。デザイナーの個性を主張するのではなく、使うひと、生活者の視点で物づくりを続けたカスティリオーニの仕事は、イタリアデザインのマエストロ、革新的工業デザインのパイオニアなど、賞賛の言葉とともに世界的に高い評価を得てる。
イタリアの家具会社ザノッタのために設計された。メザドロスツールのプロトタイプは、1954年の第10回ミラノトリエンナーレに展示され、1957年に完成。その後1971年にザノッタによって生産されている。
既製のスツールを破壊してもう一度作り直すというダダイストの思想をもっており、デザインの概念を一部否定して、既製で互いに関係のないさまざまな種類のオブジェクトを構成し直している。木製のペグで安定化されたクロスボウに取り付けられた農業用トラクターシートをスツールとして作成しており、製品が生まれた畑の生活を正確に表すために、スツールにメザドロ(小作農)という名前を付けている。メザドロスツールは、シンプルで珍しい構成の遊び心のあるスツールに変身した「トラクターのサドル」とも言える。
[ダダイズム:第一次世界大戦に対する抵抗と虚無感を根底に持ち、既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を特徴とする。]
引用:SUMUKOTO.COM「デザイナーアッキーレ・カスティリオーニを知ろう!ARCOフロアランプなど」
引用:rakuten
フロス社のためにデザインを手がけたユニークなフロアライト。当時の自動車に使用されていたビームランプを大胆にも使用した作品はどことなくアート作品の様なシュールな印象も受ける。
フロス社はモダン照明の製造メーカーとして1962年にイタリアのメラーノで設立された。新たな照明のコンセプト開発の為、新進気鋭デザイナーとのコラボを開始。世界中の高級ホテルでも重宝されている。
アルコランプは1962年にイタリアの家具照明会社フロス(Flos)のために、設計されたランプ。最も有名な工業用デザイン製品の1つであり、イタリアンデザインの象徴的なオブジェクト。ミラノのトリエンナーレデザインミュージアムとニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久収蔵品となっている。これは、工業用製品としての著作権保護が芸術作品のように認められた最初の工業用デザインとも言える。
このランプの主なコンセプトは、その汎用性と実用性にある。テーブル、机、本などの関心のある場所の上に、他のものに拘束されることなく、ライトポイントを実際に「吊り下げる」という構造になっている。アルコランプの下のスペースを利用できる構造のおかげで、シャンデリアのように目的の場所にライトポイントを調整でき、容易に本体ごと移動することができる。
引用:SUMUKOTO.COM「デザイナー アッキーレ・カスティリオーニを知ろう!ARCOフロアランプなど」 引用:FLYMEE
スタンド照明。真横から見たシルエットがスヌーピーのように見えることから、ユーモアを交えてこの名がつけられた。(※ちなみに漫画のスヌーピーとは直接の関係はない。)発売から50年を経た現在でも世界的に人気の照明。
ベース部分には大理石が使われ、その中に調光システムを収めている。直径約40cmの大きなシェードが生み出す明るく柔らかな光は、空間に上質なアクセントを与えており、素材感のある美しい外観のおかげで、昼夜を問わずアートオブジェクトのように機能。シェード上部にはランプの熱を逃がすための穴を付けるなど、装飾のないシンプルなデザインの中にも細かな配慮が見られる。
戦後1945年から建築家、プランナー、デザイナーとして活躍を始める。「ドムス」誌、「カサベラ」誌の編集長も務める。タイヤメーカー・ピレリ社と共にラテックスを使用したシートの実験を行い、1951年に自身の代表作のひとつであるタイヤ用の合成ゴムを使った椅子「Lady(レディ)」を発表。この年のミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞。その後、ドイツ人デザイナーのリチャード・サパーとパートナーとなり、イタリアのAV(オーディオヴィジュアル)メーカーBRIONVEGA(ブリオンベガ社)からテレビ、ラジオ、電話機などの電化製品Kartell(カルテル社)より発表された子供用プラスティックチェアなどの名作を生み、幾度にわたりコンパッソ・ドーロを受賞した。戦後のイタリアンデザインでもっとも偉大な合理主義者と言われており、デザインの美しさという枠を超えて技術革新、産業、流通、コミュニケーションの多様化を組み入れた。「プロダクトの工業化」に興味を示したイタリアで最初のデザイナーであり「 復刻生産されるような優れたモノの形状は、創造力、創作、社会的・文化的文脈をつなぐ具体的なプロセスの中で、機会、実験、革新が交錯して必然的に生み出されるものである」とザヌーゾは述べている。
「私は自らのプロジェクトを通して、<複雑>と呼ばれるものに形(秩序)を与えたい。」という言葉を残している。
引用:CassinaIXC.「DESIGNERS・MarcoZanuso」
引用:FLYMe「MarcoZanuso/マルコ・ザヌーゾライト・照明」
引用:High-Brands.com「MarcoZanusoマルコ・ザヌーゾ」
引用:METROCS TOKYO
人工素材のタイヤ用のゴムを用い自由な形状を描くレディは、それまでの伝統的な家具の常識をくつがえし、ミラノ・トリエンナーレでの金賞受賞を皮切りに高く評価された。イタリア・モダンデザイン創生の旗手となった歴史的な1脚。
ヨーロッパ初のポータブルテレビとして注目を集め、1962 年コンパッソドーロ賞を受賞。
プラスチックデザイナーズブランドというイメージが強いカルテル社だが、この子供用チェアがデザイナーブランド第1弾。
ポータブルラジオ。MoMA永久所蔵品に選定されている。
機械式のキッチンスケール。フランスのTerraillon(テライヨン)社から発売されたもの。2人のデザインセンスをミニマルに落とし込んでいる。
ミュンヘン大学で機械工学を学んだ後、ダイムラー・ベンツ社のデザイン部に勤務。ベンツ社ではバックミラーのデザインをしていた。ベンツ社を退社後、ジオ・ポンティの建築事務所に採用され、ジオ・ポンティの元でミラノを拠点として様々な活動を始める。
その後、マルコ・ザヌーゾと共に事務所を開設し、建築からカルテル社やアルテミデ社、アレッシー社のデザインを始め、インテリアデザインを手掛けていく。
1959年より、イタリアのデザイン会社・ブリオンヴェガ社のコンサルタントを務め、マルコ・ザヌーゾとともにラジオやテレビなどをデザイン。
1960年にイタリアで発表した「Table clock」がコンパッソ・ドーロを受賞するなど、数々の名作を生み出した。
プロダクト全体をこだわるのではなく、部分的なディテールをこだわることに重点をおき、ディテールに80%の力を注いだ。全体のカタチは基本的なシンプルなカタチで、ディテールに本質的価値を注いでいったのである。それを実現するためにサッパーは1つのプロダクトに4、5年もの時間をかけている。それは「10年経っても売れるデザイン」につながり、サパーのデザインが「究極のデザイン」と言われる所以。
サパーがデザインしたものはMoMAのコレクションで15点以上選ばれていて、各分野に1つずつサパーのデザインがある計算になるが、それは同じ分野のモノを二度とデザインする必要がなく「究極のデザイン」をしているからである。
60年代当時、他とは一線を画した近代的な構造は、革命的なデザインであった。この二枚貝のような構造は、90年代以降に流通した「折りたたみ式携帯電話」のルーツとも言える。"Grillo"はイタリア語で「コオロギ」を意味しており、ベルの音がコオロギの鳴き声に似ていたことに由来している。
コンパッソ・ドーロを受賞。大戦中、タイマーとなる時計機構を内蔵した魚雷を生産していた。しかし戦争が終わると魚雷も不要となり、同社の創業者は非常に安い価格で貨車一杯のこの時計を購入し卓上時計にしようと考えた。サパーは同氏からの依頼を受けたが、機構が非常に大きく、バッテリーも必要で、どうしてもサイズが大きくなってしまう問題に直面。そこから、後部が膨らんだ、円筒形で自立するデザインが生まれた。文字盤はサパー自身がミラノのフリーマーケットで探し、戦闘機のコックピットにあるものを採用した。
引用:ArchiproductsLogo「Lorenz STATIC Glossy steel table clock」
アレッシィで初のキッチン製品をデザイン。9091ケトルには、これまでにない形状の真鍮製のメロディックホイッスルがあり、ミとシの音を再現するチューナーが挿入された2つの小さな通気口で構成されている。サパーは、子供の頃の思い出であるライン川の船のサイレンの詩的な音からインスピレーションを得て、このケトルを作った。それは、蒸気の排出に伴うメロディーは、ボイラーの汽笛のように不安を感じさせるものではなく、心地よいものであるべきと考えたからである。このケトルは、楽しい休憩時間を汽笛で中断させるのではなく、魅惑的なメロディーで中断させる、多感覚的なオブジェクト。
上面のカバーを回して時間をセットするだけのシンプルな使い心地が魅力。電池を使わないシンプルな構造。
引用:13th floor「Itary Terraillon Richard Sapper Kitchen Timer」
必要に応じて90度から180度まで自在にアームの調整が可能で、デザイナーや建築家に人気の高いデスクライト。
2本のアームに平衡力を利用しているため、指1本でアームの位置を調整することができる。
ローボルトハロゲンの採用により、ベースとシェードの間をコードレス化にした、デザイン当時としては画期的なデスクランプで、接合部にはネジの代わりにスナップ式の留め具が使用され、仮に落下するなどのアクシデントが起きても、接合部で外れて破損しないようなつくりになっている。簡素かつエレガントなフォルムの中に設計技術と創意工夫が融合した逸品。
1979年にはコンパッソドーロ受賞し、MoMAパーマネントコレクションにも選ばれ、サパーの名を世界に知らしめた名プロダクト。
1959年イタリアの名門、ミラノ工科大学建築家を卒業。1961年に26歳にしてイタリアの有名百貨店「ラ・リナシェンテ」のデザイン部長に抜擢される。1963年には独立し、オリベッティ社に招聘され、電子タイプライターや計算機などのデザインを手がけ、オリベッティ社を国際的な企業へと押し上げた。
1975年には金属フレームを上質の革で包み込んだ「CAB chair(キャブチェア)」をカッシーナから発表したのを皮切りに、B&Bイタリアやヴィトラのオフィスチェア「Ypsilon(イプシロン)」、アルテミデ、フロス、エルコの照明等、多くのメーカーから自身の作品を発表した。日本でもヤマハの電子オルガンや象印の電気ポットなどをデザインしている。
特にカッシーナから発表した「キャブチェア」は、金属のフレームに高級感あふれる革のジャケットを被せると言う画期的な発想で、背もたれのフィット感と抜群の座り心地を実現しており、イタリアモダンデザインを代表する椅子として絶賛された。「イプシロン」は、オフィスチェアの代表的な作品としても知られている。
また、建築・デザイン誌ドムスの編集長を、1986年から91年まで務めている。
1992年には建築で日本の「東京デザインセンター」、同時に「横浜ビジネスパーク」のプロジェクトである「ベリーニの丘」を手掛けた。
今では、イタリアをはじめ、ドイツやフランス、アメリカ、オーストラリアなど世界各国で建築を手掛けている。
金属のフレームに、高級感溢れる厚革のジャケットを被せるという画期的な発想で構成。フレームと厚革が作り出すテンションによって、背もたれのフィット感と座り心地を実現している。カッシーナ独自の厳しい基準をクリアーした鞣し革は、使い込むほどに身体に馴染み、味わいを深めていく。イタリアンモダンデザインを代表する椅子。ニューヨーク近代美術館(MoMA)永久所蔵作品
グッドデザイン賞受賞。
1日中PCで仕事をするデジタルワーカーの負担を軽減するために作られた椅子。最大の特徴は、ヘッドレストが付いている事。このヘッドレストを頭の位置に合わせて自由に調整することで、デスクワークで痛めがちな首から肩をしっかりサポートしている。
さらにはバックレストの調整、座面の高さ・奥行き、リクライニング、アーム調整などハードワークに耐える現代人のためにいかに快適に座れるか、長時間座っていても疲れないかという事を一番に考えて設計されたチェア。
FM音源とPCM音源をもつ、当時のフラッグシップの電子キーボードとして、実現したデザイン。「和」がもつ寡黙さと艶やかさを、ミニマルな筐体と、その蓋を開いたときのドラスティックな表情の変化で表現している。整然と並ぶスイッチ類は全ての機能が一覧でき、現在のセッティングが直観的に把握できる。合理的かつ精緻なそのインタラクションは、計算しつくされた上で合理主義を超えた情緒を醸し出している。
卓上での使用と携帯して屋外で録音する両方のケースを考慮し、実現したカセットデッキレコーダー。卓上での使いやすさのためのアングルは、屋外で脇に抱えた時に体にフィットするアングルとなる。カセットテープを操作するフィジカルなボタンはボディーから突出させる一方、音質をコントロールするフェーダー類を階段状のデザインにすることで、フラッシュサーフェスとし、あらゆる使用シーンでの最適なインタラクションを造形で解決している。
敷地はコの字型で、コの字の左側に該当する狭い2ヵ所が接道し、道路からの奥行があるものの、敷地の半分ほどが上り急斜面という悪条件であった。ベリーニはこの条件を逆手に取り、建物を斜めに貫通するように五反田駅前と建物背後を結びつける5層吹き抜けの大階段ガレリアが設けられ、裏庭には正面とはまったく異なる緑の斜面と階段状建物の美しい表情を実現した。エレベーターホールの最上層部分はガラスドーム状のキューポラになっている。日本の建築常識とは異なり、外壁に大理石を用いたのは、時間とともに石材が風化することを狙ったもので、「数十年たって価値を増す建物」を意図している。
完成後は、家具を中心にインテリアのトップブランド各社のショールームが設けられ、デザイン情報を発信する場となっている。
天王町駅からほど近い場所で野村不動産が大規模開発した横浜ビジネスパーク内につくられた広場。「水のホール」を中心とし、そこから同心円状につくられた丘とその下部の回廊から構成されている。回廊は前方が見通せないR形状とし円芯への求心性を持たせている。
水鏡となっている円形の池は貯水池の機能を持っているが、排水することにより多目的ステージとなり、CMやドラマのロケ,コンサートや各種ショーイベント等が行われている。
引用:STUDIOInc.「1987|Bellini Hill」
引用:横浜で暮らそう「天王町 横浜ビジネスパークに行ってみよう!」
イタリア「黄金の60年代」を代表するインテリア デザイナー、工業デザイナーであり、建築家。ミラノの電気機器工場を所有する企業家の家に生まれる。1948年にブレラ・アカデミー(美術大学)に進学。「アンフォルメル(抽象表現主義のひとつ)」の一派に属し、1951年にはフォンタームやムナーリらと美術展に作品を出展していた。1959年に工場を引き継ぐが1963年には売却し、自身のデザイン事務所を設立。同年に照明ブランドOluce(オルーチェ)より発表した「アクリリカ」でコンパッソ・ドーロを受賞。
その後、ベルニーニ、カルテル、コンフォルト、アリタリア航空などで多彩なプロダクトを手掛け、1969年には、ドイツで開催された「ヴィジョーナ1」で未来的な可動式住宅のデザインを手掛け、大きな話題となった。家具・ガラス・照明器具からインテリアまでその 生活環境を思考したシステマティックなデザインワークは先進的なイタリアデザインをリードし続けた。翌70年に発表した「ボビーワゴン」はMoMA(ニューヨーク近代美術館)の永久収蔵品になった。
1972年、最後の作品総合的家具ユニットが発表される。ジョエ・コロンボは、いつでも問題点を明確にした後で「解決策を探る手法」で仕事に取り組み、モダニズムを純粋に信じ、バウハウスを源流とする合理主義デザインを超える機能主義を展開させたモダニストといっても過言ではない。
画期的なアイデアとその美しさで世界中から賞賛されたテーブルランプ。基底部に入っている蛍光管の光がC型の分厚い透明アクリル樹脂に伝わり、アクリルの断面のみがほのかに光る。
その大胆な発想が高く評価され、コンパッソドーロを受賞。1964年第13回ミラノトリエンナーレで金賞を受賞。
ドイツで開催された「ヴィジョーナ1」に出展された「未来的な可動式住宅」。
机の部分が可動し、目的に応じて居住空間を変化させることが出来る。
50cmより少し大きめの動く立方体(キャスター付)の中に「冷蔵庫」「まな板・調理台」「コンロ」「電化製品用ソケット」、6人分の食器類の「収納」までをコンパクトにまとめたもの。独立した部屋やオフィス、テラスや庭などでの簡単なクッキングのために家電をビルトインした複合機能家具。
高さや向きを自在に調整できるランプ。'67年にコンパッソドーロ賞を受賞。
製品名のElda(エルダ)はジョエの妻の名前。ジョエは親しい間柄の人間に、”優しくて包み込まれるような存在”という意味で妻のことを「ソファのような女性」と紹介していた。妻をイメージして、包み込まれる形状を追求して形作られており、至上の座り心地を実現している。
ファイバーグラスプラスチック (GFRP) 素材を使用したソファとしては業界初の大きさであった。
ボビーワゴンは、キャスター付きの本体を回転させることで側面4面すべてを効率的に使える、デザイン性と機能性に優れた収納家具。180°回転するトレイや、ボトル類の保管に適した奥行きのあるポケットなど、機能性に富んだ収納スペースが随所に工夫されている。
ワゴンの4面すべてを効率的、機能的に使える高いデザイン性、そして省スペース化。その両方を併せ持つボビーワゴンは当時のデザインの現場には画期的な製品であった。
「寝室」「書斎」「オーディオ」「台所」「浴室・トイレ」「収納」など、生活に関する全ての要素を1つのユニットに集約したもの。このユニットを必要に応じて展開し、その空間を利用するというコンセプト。このユニット一つで生活がすべて可能になり、展開と収納で空間を変化させ、自由に使うことが出来る。また、ユニットごと引越も可能。
引用:DASH|Delft Architectural Studies on Housing「Total Furnishing Unit New York (US)」
イタリアの建築家、インダストリアルデザイナー。戦後イタリアン・デザインに対する世界的な評価を高めた一人で、その作品・スタンスは、影響力が強く、派手で独創性に優れ、時には称えられ、時には批判も受けた。
1958年にオリベッティ社の製品デザインで名を知られるようになった。1959年にはオリベッティのイタリア初の大型コンピュータ「エレア9003」を手がけ、1960年代にはコンピュータや周辺機器をはじめ、「テクネ3」や「ヴァレンタイン」といったポータブル・タイプライターなど数多くの製品デザインを行った。
彼は当時、電子技術の知識はあまりなかったものの、英米のポップアートの影響や、アーキグラムなどのグループが打ち出すハイテクを駆使した過激なデザインを吸収して咀嚼していた。彼のデザインした「totem(トーテム)」や大型コンピュータ「ELEA9003(エレア9003)」などは1959年にイタリア最高のデザイン賞を受賞した。
1961年にはインド旅行で強い哲学的衝撃を受けたほか、同年に病気療養のためアメリカ西海岸のパロアルトに滞在し、同地のビートニク詩人らと交わったことで新しい文化を吸収した。
1981年にはマルコ・ザニーニを含むソットサス・アソシエイツのメンバーや世界から集まった30歳代の若手デザイナー・建築家らと「メンフィス」を結成した。「メンフィス」は40点ほどの家具、陶磁器、照明器具、ガラス製品、テキスタイルを集めた展覧会を開いたが、その作品は蛍光色などの鮮やかな色彩、滑らかな表面、うねるような形状などを特徴としていた。メンフィス時代のソットサスの鮮やかで反語的なデザインは、戦後のモダニストとしてのより簡素な作品からは離れたと見られた一方、ポストモダンのデザインや芸術の好例として熱狂的に受け入れられた。
鮮やかな赤色のプラスチックケース入りポータブルタイプライター。愛称「赤いバケツ」。これは当時の産業デザインに比べるとポップアート作品に近いほどの大胆さであり、当時の働く女性の究極のファッションアイテムとなった。ニューヨーク近代美術館(MoMA)永久収蔵品。
コンピュータの機能を区別しやすいようそれぞれの機器に色を塗り分けたほか、高さを抑えて技術者が互いの位置を把握できるようにした。
引用:LG SIGNATURE「The Elea 9003 by Ettore Sottsass is still in working order」
引用:LG SIGNATURE「The Elea 9003 by Ettore Sottsass is still in working order」
ポストモダンを代表する多国籍のデザイナー集団。1981-1988にかけて、主にイタリアで活動した。
メンフィスは、当時の主流であった機能性や合理性を重視したスタイルとは真逆のデザインをおこなった。カラフルで複雑な造形表現で、見た目にインパクトのあるものが多かった。
クライアントからの制約なしに、つくりたいものをつくるといったスタンスだったため、商業的には成功とはいえなかったが、建築インテリア業界のみならず、ファッション業界にも多大な影響を与え、現代でもコンセプトとしてよく引用される。
「メンフィス」は40点ほどの家具、陶磁器、照明器具、ガラス製品、テキスタイルを集めた展覧会を開いた。蛍光色などの鮮やかな色彩、滑らかな表面、うねるような形状などを特徴としている。
メンフィスの名は、古代エジプトの都市名と、メンバーがたまたま聴いていたボブ・ディランの曲名からとられた。
エットレ・ソットサス、アレッサンドロ・メンディーニ、アンドレア・ブランツィ、ミケーレ・デ・ルッキ、ナタリー・ドゥ・パスキエ、バーバラ・ラディーチェ、磯崎新、倉俣史朗、他
21点のトーテムポールをイメージさせる、奇抜なオブジェシリーズ。
イタリアの高級家具メーカー。モダンデザイン家具の製造・販売を行っており、モダニズム建築の著名作家が設計した家具の復刻(リプロダクション)でも知られる。
1927年、北イタリア・ミラノ近郊のメーダにおいて、チェーザレとウンベルトのカッシーナ兄弟によって「アメデーオ・カッシーナ」(Amedeo Cassina)社として設立。当初は手工業的な生産であったが、第二次世界大戦後、カッシーナ社は外部のデザイナーとのコラボレーションを開始。多様な家具(椅子、アームチェア、テーブル、ソファ、ベッドなど)を生産するようになり、その規模と名声を拡大していく。
会社は、クルーズ客船、高級ホテル、レストランへの家具の納入によって発展を遂げていった。1952年にジオ・ポンティとともに豪華客船「アンドレア・ドーリア」のインテリアを手掛けたことは、会社の飛躍の大きな契機になったとされる。1954年、イタリアのすぐれた工業デザインに贈られるコンパッソ・ドーロ賞(it:Premio Compasso d'oro)が創設されると、カッシーナ社が製造した椅子(カルロ・デ・カルリ設計)が受賞対象の1つとなった。1960年代半ば以降は高級インテリア分野に企業活動の大部分を注力している。
1964年には、ル・コルビュジエがデザインした4種の家具を製造・販売する独占契約を結び、「カッシーナ・イ・マエストリ・コレクション」(Cassina I Maestri)を発表。
1972年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の展覧会"Italy: the New Domestic Landscape"(キュレーターはエミリオ・アンバース)では、共催にあたった。1991年はカッシーナ社としてコンパッソ・ドーロ賞を受賞。
2005年、カッシーナ社は、同じイタリアの高級家具メーカーであるポルトローナ・フラウ・グループに買収された。2008年にはミラノで「メイド・イン・カッシーナ(made in cassina)」展を開催、同展覧会は日本にも巡回した。
1950年にスイスのヴァイルアムラインに創業した家具メーカー。創業者はウィリー・フェルバウムとエリカ・フェルバウムの2人。小さな家具什器のメーカーとして始まったヴィトラは、今では様々なデザイナーと協業しデザインを生み出す世界的なリーディングカンパニーとして知られている。
ミッドセンチュリーのど真ん中に誕生し、半世紀以上の歴史を持つ老舗のヴィトラ、ホーム・オフィス・公共施設など多岐に渡る文化活動は単なる家具ブランドという領域を超えた、まさに一つのプロジェクト。ヴィトラはデザインを通して、「私たちの日々の生活をより豊かなものにすること」を目標に、今この瞬間もその活動を広げている。