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#012

ミッドセンチュリーのデザイナーその2

戦時・戦後イタリア合理主義

戦時・戦後のイタリアは、新古典的な流れと、一方ではモダニズムを取り入れようとする二つの流れがあり、イタリアのモダニズムは、その折衷を実現し、デザインや建築において合理主義と呼ばれた。
戦後イタリアのデザインは合理的でありつつ、理想と現実、理論と実践という二元性によっても把握され、製品はオブジェとしての存在と機能を両立させたデザイン・オブジェとなった。オリベッティー社やフィアット社のような大企業は、意識的に有名なデザイナーを顧問として共同作業を行い、デザインが経営政策の重要な要因となっていった。
60年代イタリアはモダニズムを越え、ポストモダニズム、ポップアートを見越した、デザインにおける新しい展開の先駆者になっていった。

ジュゼッペ・テラーニ(1904~1943)

イタリアのモダニストの建築家、都市計画家。合理主義建築を代表する建築家。1920年代にドイツなどで興った建築のモダニズム、インターナショナル・スタイルにいち早く反応し、イタリアにおいて普及させようとした。同時に、ファシズム体制のための建築を多数設計している。ムッソリーニ政権の基で「カサ・デル・ファッショ」や「ヴィッラ・ビアンカ」等の優れた建築。ムッソリーニ政権崩壊直前に脳卒中で39歳の若さで他界。
イタリアにおけるモダニズム建築運動の先駆者として、イタリアのモダニズムの代表となる建築を多く残した。またファシストの建築家集団でイタリア合理主義建築を主導した「グルッポ7」の創設メンバーであり、新古典主義やネオ・バロックなどの復古主義を激しく非難。1926年、「グルッポ7」のメンバーと宣言文を発し、復古主義との論争のリーダーとなった。
建築家としての活動期間は13年間に過ぎなかったが、コモに小規模だが重要なデザイナーの集団をつくり、コモおよびミラノをモダニズム建築・イタリア合理主義建築の牙城とした。末期の仕事では、近代建築の理論とイタリアの伝統を融合させて、より「地中海性に富んだ」独特の建築様式に至っている。
コモ市の「ファッショの家」は彼の代表作だが、そこに置かれたスティールパイプの椅子は、シンプルな形で第二次世界大戦後のイタリアンデザインのルーツをなす名作。

引用:SUMUKOTO.COM

マルチェロ・ニッツォーリ(1887~1969)

1938年にオリベッティ(イタリアでタイプライターの製造・販売会社として創業されたメーカー)で最初のインダストリアルデザイナーと呼ばれる立場でタイプライターや計算機をデザインした。タイプライター「LETTERA22」と「LEXIKON80」はニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久収蔵品に選定されている。
1950年代からはオリベッティー社とミシンメーカーのネッキ社で仕事をした。

ジオ・ポンティ(1891~1979)

イタリアの建築家、インダストリアルデザイナー、家具デザイナー。建築・デザイン雑誌『Domus』を創刊したことでも知られる。「イタリアモダンデザインの父」と呼ばれた。
1923年ミラノ工科大学卒業後、1930年まで陶磁器メーカー・リチャード・ジノリ社でアートディレクターを務める。その後、自身の建築事務所を設立し公共施設の設計などを手掛け、1928年建築・デザイン誌「ドムス」を創刊、初代編集長に就任し、国内外のデザイン界に多大な影響を与えた。
1930年代にはいると建築や 家具にモダニズムの形を見せ、戦後の1950年代にはイタリアモダンの代表的な人物となった。ジオの合理主義デザインは、1936年の建築「ラポルテの家」が代表的であるが、そこでも抽象的でシンプルな構成をみせながら、どこか装飾的な匂いを発散させている。インダストリアルデザインではニッツォーリとは違ってシンプルながら詩的な感覚を漂わせたモダニズムといえる。彼はイタリアモダンのひとつのルーツであり、同時にポストモダンの先駆者でもあった。

引用:Wikipedia

アッキーレ・カスティリオーニ(1918~2002)

イタリア、ミラノ出身のインテリアデザイナー。同じく建築、インテリアデザイナーのリヴィオ・カスティリオーニとピエール・ジャコモ・カスティリオーニは実兄。兄のデザイン事務所で建築、インテリア、アートを学ぶ。
1957年にザノッタ社より2つの実験的とも言えるスツールを発表。自転車のサドルをモデルにした「SELLA」とトラクターのシートをモデルにした「MEZZADRO」である。それは快適で合理的なラインとシンプルさを兼ね備えながら、既製のスツールを破壊してもう一度作り直すというダダイストの思想を持っていた。発表後1950年代後半のイタリアンデザインの象徴となった。
1960年にフロス社の設立と同時に兄と共にメインデザイナーに抜擢。その後最高傑作のひとつ、大理石のベースから優雅な曲線を描きながら伸びるアームを持つ「ARCO」や自動車のヘッドライトを利用してデザインされた「TOIO」を発表。1960年代のイタリア照明界の代表デザイナーとなり、これらの照明はモダン照明デザインの古典的存在になっている。
新しいテクノロジーと多様な素材を用いて家具や照明、都市計画に至るさまざまな世界で実験的なフォルムと伝統的なフォルムを表現し続け、1970年代からはミラノ工科大学建築学科教授として、若い才能を育てることにも大きく貢献。デザイナーの個性を主張するのではなく、使うひと、生活者の視点で物づくりを続けたカスティリオーニの仕事は、イタリアデザインのマエストロ、革新的工業デザインのパイオニアなど、賞賛の言葉とともに世界的に高い評価を得てる。

引用:interiors-inc

マルコ・ザヌーゾ(1916~2001)

戦後1945年から建築家、プランナー、デザイナーとして活躍を始める。「ドムス」誌、「カサベラ」誌の編集長も務める。タイヤメーカー・ピレリ社と共にラテックスを使用したシートの実験を行い、1951年に自身の代表作のひとつであるタイヤ用の合成ゴムを使った椅子「Lady(レディ)」を発表。この年のミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞。その後、ドイツ人デザイナーのリチャード・サパーとパートナーとなり、イタリアのAV(オーディオヴィジュアル)メーカーBRIONVEGA(ブリオンベガ社)からテレビ、ラジオ、電話機などの電化製品Kartell(カルテル社)より発表された子供用プラスティックチェアなどの名作を生み、幾度にわたりコンパッソ・ドーロを受賞した。戦後のイタリアンデザインでもっとも偉大な合理主義者と言われており、デザインの美しさという枠を超えて技術革新、産業、流通、コミュニケーションの多様化を組み入れた。「プロダクトの工業化」に興味を示したイタリアで最初のデザイナーであり「 復刻生産されるような優れたモノの形状は、創造力、創作、社会的・文化的文脈をつなぐ具体的なプロセスの中で、機会、実験、革新が交錯して必然的に生み出されるものである」とザヌーゾは述べている。
「私は自らのプロジェクトを通して、<複雑>と呼ばれるものに形(秩序)を与えたい。」という言葉を残している。

引用:CassinaIXC.「DESIGNERS・MarcoZanuso」
引用:FLYMe「MarcoZanuso/マルコ・ザヌーゾライト・照明」
引用:High-Brands.com「MarcoZanusoマルコ・ザヌーゾ」
引用:METROCS TOKYO

リチャード・サパー(1932~2015)

ミュンヘン大学で機械工学を学んだ後、ダイムラー・ベンツ社のデザイン部に勤務。ベンツ社ではバックミラーのデザインをしていた。ベンツ社を退社後、ジオ・ポンティの建築事務所に採用され、ジオ・ポンティの元でミラノを拠点として様々な活動を始める。
その後、マルコ・ザヌーゾと共に事務所を開設し、建築からカルテル社やアルテミデ社、アレッシー社のデザインを始め、インテリアデザインを手掛けていく。 1959年より、イタリアのデザイン会社・ブリオンヴェガ社のコンサルタントを務め、マルコ・ザヌーゾとともにラジオやテレビなどをデザイン。
1960年にイタリアで発表した「Table clock」がコンパッソ・ドーロを受賞するなど、数々の名作を生み出した。
プロダクト全体をこだわるのではなく、部分的なディテールをこだわることに重点をおき、ディテールに80%の力を注いだ。全体のカタチは基本的なシンプルなカタチで、ディテールに本質的価値を注いでいったのである。それを実現するためにサッパーは1つのプロダクトに4、5年もの時間をかけている。それは「10年経っても売れるデザイン」につながり、サパーのデザインが「究極のデザイン」と言われる所以。
サパーがデザインしたものはMoMAのコレクションで15点以上選ばれていて、各分野に1つずつサパーのデザインがある計算になるが、それは同じ分野のモノを二度とデザインする必要がなく「究極のデザイン」をしているからである。

引用:MAARKET

マリオ・ベリーニ(1935~)

1959年イタリアの名門、ミラノ工科大学建築家を卒業。1961年に26歳にしてイタリアの有名百貨店「ラ・リナシェンテ」のデザイン部長に抜擢される。1963年には独立し、オリベッティ社に招聘され、電子タイプライターや計算機などのデザインを手がけ、オリベッティ社を国際的な企業へと押し上げた。
1975年には金属フレームを上質の革で包み込んだ「CAB chair(キャブチェア)」をカッシーナから発表したのを皮切りに、B&Bイタリアやヴィトラのオフィスチェア「Ypsilon(イプシロン)」、アルテミデ、フロス、エルコの照明等、多くのメーカーから自身の作品を発表した。日本でもヤマハの電子オルガンや象印の電気ポットなどをデザインしている。
特にカッシーナから発表した「キャブチェア」は、金属のフレームに高級感あふれる革のジャケットを被せると言う画期的な発想で、背もたれのフィット感と抜群の座り心地を実現しており、イタリアモダンデザインを代表する椅子として絶賛された。「イプシロン」は、オフィスチェアの代表的な作品としても知られている。
また、建築・デザイン誌ドムスの編集長を、1986年から91年まで務めている。
1992年には建築で日本の「東京デザインセンター」、同時に「横浜ビジネスパーク」のプロジェクトである「ベリーニの丘」を手掛けた。
今では、イタリアをはじめ、ドイツやフランス、アメリカ、オーストラリアなど世界各国で建築を手掛けている。

引用:Wikipedia

ジョエ・コロンボ(1930~1971)

イタリア「黄金の60年代」を代表するインテリア デザイナー、工業デザイナーであり、建築家。ミラノの電気機器工場を所有する企業家の家に生まれる。1948年にブレラ・アカデミー(美術大学)に進学。「アンフォルメル(抽象表現主義のひとつ)」の一派に属し、1951年にはフォンタームやムナーリらと美術展に作品を出展していた。1959年に工場を引き継ぐが1963年には売却し、自身のデザイン事務所を設立。同年に照明ブランドOluce(オルーチェ)より発表した「アクリリカ」でコンパッソ・ドーロを受賞。
その後、ベルニーニ、カルテル、コンフォルト、アリタリア航空などで多彩なプロダクトを手掛け、1969年には、ドイツで開催された「ヴィジョーナ1」で未来的な可動式住宅のデザインを手掛け、大きな話題となった。家具・ガラス・照明器具からインテリアまでその 生活環境を思考したシステマティックなデザインワークは先進的なイタリアデザインをリードし続けた。翌70年に発表した「ボビーワゴン」はMoMA(ニューヨーク近代美術館)の永久収蔵品になった。
1972年、最後の作品総合的家具ユニットが発表される。ジョエ・コロンボは、いつでも問題点を明確にした後で「解決策を探る手法」で仕事に取り組み、モダニズムを純粋に信じ、バウハウスを源流とする合理主義デザインを超える機能主義を展開させたモダニストといっても過言ではない。

引用:ogitaka

エットレ・ソットサス(1917~2007)

イタリアの建築家、インダストリアルデザイナー。戦後イタリアン・デザインに対する世界的な評価を高めた一人で、その作品・スタンスは、影響力が強く、派手で独創性に優れ、時には称えられ、時には批判も受けた。
1958年にオリベッティ社の製品デザインで名を知られるようになった。1959年にはオリベッティのイタリア初の大型コンピュータ「エレア9003」を手がけ、1960年代にはコンピュータや周辺機器をはじめ、「テクネ3」や「ヴァレンタイン」といったポータブル・タイプライターなど数多くの製品デザインを行った。
彼は当時、電子技術の知識はあまりなかったものの、英米のポップアートの影響や、アーキグラムなどのグループが打ち出すハイテクを駆使した過激なデザインを吸収して咀嚼していた。彼のデザインした「totem(トーテム)」や大型コンピュータ「ELEA9003(エレア9003)」などは1959年にイタリア最高のデザイン賞を受賞した。
1961年にはインド旅行で強い哲学的衝撃を受けたほか、同年に病気療養のためアメリカ西海岸のパロアルトに滞在し、同地のビートニク詩人らと交わったことで新しい文化を吸収した。
1981年にはマルコ・ザニーニを含むソットサス・アソシエイツのメンバーや世界から集まった30歳代の若手デザイナー・建築家らと「メンフィス」を結成した。「メンフィス」は40点ほどの家具、陶磁器、照明器具、ガラス製品、テキスタイルを集めた展覧会を開いたが、その作品は蛍光色などの鮮やかな色彩、滑らかな表面、うねるような形状などを特徴としていた。メンフィス時代のソットサスの鮮やかで反語的なデザインは、戦後のモダニストとしてのより簡素な作品からは離れたと見られた一方、ポストモダンのデザインや芸術の好例として熱狂的に受け入れられた。

引用:Wikipedia

カッシーナ(1927~)

イタリアの高級家具メーカー。モダンデザイン家具の製造・販売を行っており、モダニズム建築の著名作家が設計した家具の復刻(リプロダクション)でも知られる。
1927年、北イタリア・ミラノ近郊のメーダにおいて、チェーザレとウンベルトのカッシーナ兄弟によって「アメデーオ・カッシーナ」(Amedeo Cassina)社として設立。当初は手工業的な生産であったが、第二次世界大戦後、カッシーナ社は外部のデザイナーとのコラボレーションを開始。多様な家具(椅子、アームチェア、テーブル、ソファ、ベッドなど)を生産するようになり、その規模と名声を拡大していく。
会社は、クルーズ客船、高級ホテル、レストランへの家具の納入によって発展を遂げていった。1952年にジオ・ポンティとともに豪華客船「アンドレア・ドーリア」のインテリアを手掛けたことは、会社の飛躍の大きな契機になったとされる。1954年、イタリアのすぐれた工業デザインに贈られるコンパッソ・ドーロ賞(it:Premio Compasso d'oro)が創設されると、カッシーナ社が製造した椅子(カルロ・デ・カルリ設計)が受賞対象の1つとなった。1960年代半ば以降は高級インテリア分野に企業活動の大部分を注力している。
1964年には、ル・コルビュジエがデザインした4種の家具を製造・販売する独占契約を結び、「カッシーナ・イ・マエストリ・コレクション」(Cassina I Maestri)を発表。
1972年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の展覧会"Italy: the New Domestic Landscape"(キュレーターはエミリオ・アンバース)では、共催にあたった。1991年はカッシーナ社としてコンパッソ・ドーロ賞を受賞。
2005年、カッシーナ社は、同じイタリアの高級家具メーカーであるポルトローナ・フラウ・グループに買収された。2008年にはミラノで「メイド・イン・カッシーナ(made in cassina)」展を開催、同展覧会は日本にも巡回した。

ヴィトラ(1950~)

1950年にスイスのヴァイルアムラインに創業した家具メーカー。創業者はウィリー・フェルバウムとエリカ・フェルバウムの2人。小さな家具什器のメーカーとして始まったヴィトラは、今では様々なデザイナーと協業しデザインを生み出す世界的なリーディングカンパニーとして知られている。
ミッドセンチュリーのど真ん中に誕生し、半世紀以上の歴史を持つ老舗のヴィトラ、ホーム・オフィス・公共施設など多岐に渡る文化活動は単なる家具ブランドという領域を超えた、まさに一つのプロジェクト。ヴィトラはデザインを通して、「私たちの日々の生活をより豊かなものにすること」を目標に、今この瞬間もその活動を広げている。